地獄から這い上がった私が、オンラインスクール事業で大成功するまでの物語
こんにちは、nanamiです。
今回は、私の自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は20歳の時にオンラインスクールを創業し、個人で累計4億円ほど売り上げてきました。
右腕と合わせると10件以上のスクール・コンサル事業を運営してきて、累計売上20億円以上の実績があります。

スクール事業を10件以上成功させ、よく「本当にそんなに上手くいくものなんですか?」と驚かれます。
家族や友人も「信じられない」と驚いていますが、これは紛れもない事実です。
このように話すと、中には「怪しい」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、私は事実をお伝えしているだけです。
実際、オンラインスクールの構築から集客、運営まで、この分野においては誰にも負けない自信があります。
それほどまでに、オンライン教育ビジネスの仕組みづくりから、受講生を成果に導くメソッドまで、徹底的に研究し実践してきました。
そして、私がここまで到達できた理由は、大きく分けて3つあります。
「再現性のある仕組みを構築できたこと」
「利益率の高い形で運営できたこと」
「時間と場所に縛られないビジネスモデルを確立できたこと」
この3つによって、現在の成功を手に入れることができました。
今は、この魅力を一人でも多くの方に知っていただきたいという想いから、オンラインスクール起業のコンサルタントとしても活動しています。
自分の専門知識や経験を活かして、オンラインスクールを立ち上げ、月商50万円〜100万円を目指すための個別コンサルティングです。
ちなみに、私のオンラインスクール起業コンサルについては、こちらの記事で詳しく解説していますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
現在は経済的にも精神的にも満足のいく生活を送れており、受講生の方々から感謝の言葉をいただきながら、充実した日々を過ごしています。
最近では、
「nanamiさんは私の目標です」 「尊敬しています!」 「いつか一緒にビジネスをするのが夢です」
といった言葉をいただけることも増え、非常に嬉しく思っています。
しかし、過去は本当に苦しい日々を送っており、今とは真逆の生活をしていました。
今回は自己紹介ということで、その辛かった過去についてもお話しさせていただきます。
居場所がなかった学生時代。そして家庭という名の地獄
学生時代はいつも一人で教室の隅にいて、ビジネス書や自己啓発書を読んでいました。
というより、それしかすることがなかったのです。今思えば、かなり浮いた存在でしたね…笑
そして、読んでいる本の内容も、当時の同級生とは全く話が合わないものばかり。
高校時代、同じクラスの女子に「成長するためには…」とか「目標達成の方法は…」といった話をしても、当然ながら全く理解されませんでした。
そんな状況でしたから、毎日の休み時間も、体育祭などの学校行事も、すべてが苦痛でしかありませんでした。
耐えきれず、高校では授業をサボって図書館に引きこもり、ひたすら本を読むようになっていました。
さらに、家庭環境も決して良好とは言えませんでした。
家に帰ると頻繁に、特に理由もなく父親から理不尽に叱責されていました。
その際、暴力を受けることもありました。
小学校、中学校と成長するにつれて、その頻度と程度はエスカレートしていき、高校の頃には、太ももからふくらはぎにかけて打撲の痣が絶えませんでした。
赤、青、緑、黄色…まるでカラーパレットのような状態だったことを、今でもはっきりと覚えています。
当時は本当に辛い日々でした。
真冬に家から締め出されたこともありました。
また、大切に育てていたペットを勝手に手放されたこともあります。
本当に可愛がっていたのに…と、号泣したことを今でも思い出します。
他にも、怒鳴りながら物を投げつけてくる父の姿を、今でも時々フラッシュバックすることがあります。
私は地方都市の出身なのですが、娯楽も少なく閉塞的な環境で、学校にも家にも居場所がない…そんな状況の中で、本当に生きている意味が分からなくなっていました。
「もういつ死んでもいい」
そう思うようになっていました。
しかし、本当に人生を終わらせてもいいと思っていた時、ある一冊のビジネス書に出会ったのです。
その本を読んだ時、
「私はまだここで終わってはいけない。この世界には、私がまだ知らない可能性や、成し遂げられることがたくさんあるはずだ」
と強く感じました。
半ば諦めていた人生でしたが、「このままではいけない。変わらなければ」と思えた瞬間でした。
手取り17万円、深夜23時まで労働。そしてうつ病へ
わずかな希望を見出してから、私は猛勉強を始めました。
当時、国家資格を取得し、デザイナーとして働きたいと考えたのです。
朝は6時に起床し、深夜2時まで勉強し続ける日々…。当時のノートを見返すと、その執念が伝わってきます。
誰からも期待されていませんでしたが、必死に勉強しました。

0から学び、1年後、ようやく制作会社に採用されました。
努力が報われ、業界でも評価の高い企業です。採用していただけたことには、今でも感謝しています。
「デザイナーとして頑張るぞ!」
と意気込んで入社しましたが、待っていたのは厳しい現実でした。
業界あるあるなのですが、朝から晩までかなりの長時間労働が常態化していました。
実働時間で言うと、10時から夜22時まで働くことも珍しくありませんでした。
給料は手取りで17万円。残業代は固定でした。
週5日、朝から深夜まで働いてこの金額。途方に暮れました。
勤務時間だけでなく、人間関係もなかなか苦しいものがありました。
しかし、当時の私は自己肯定感が極めて低く、
「文句を言える立場ではない。こんな自分を雇ってくれているだけでありがたい…」 「もっと成果を出さなければいけないんだ…」
と、自分を追い込んでしまいました。
お金も時間もなく、食事もまともに取っておらず、睡眠時間も削られ、気の合わない上司との関係にも悩まされ…
胃痛、腹痛、動悸、手の震えといった症状が出始めました。
何のために生きているのか、再び分からなくなってしまい、起きて会社に行って寝るだけの生活。
まるでゾンビのような毎日でした。
私は本来、教えることが好きなタイプなのですが、それでも過酷な労働環境には耐えきれず、ついには倦怠感がひどくなり、朝ベッドから起き上がれなくなりました。
頭が全く回らず、パソコンの画面を見ながら、眠くもないのに意識が飛ぶようなことが頻繁に起きました。
うつ病を発症したのです。
泣きながら出勤し、上司から言われたことを思い出すと、手の震えが止まらなくなる…あの時は本当に限界でした。
さらに、真面目な性格が災いして、
「プロとして成功するためには、この状況を乗り越えなければならないんだ」
「うまく立ち回れない自分が悪いんだ」
と、自分を責め続け、どんどんうつ病が悪化していきました。
そうして過ごすうちに、常に倦怠感と重さを感じる「慢性疲労症候群」にもなりました。
本当に辛い日々でした。
今振り返っても、あの頃には絶対に戻りたくないと思います。
私は長い間、生きている意味が分かりませんでした。
会社員を辞めて受託制作・物販事業…しかし、すべてが消耗戦だった
辛すぎる日々を変えたい…
本気で人生を変えたいと思った私は、会社員として働く以外の生き方を必死に模索しました。
毎日「人生を変える方法」「働き方を変える方法」という動画や記事を読み漁っていました。
「一刻も早くこの状況から抜け出したい!」と心の底から思っていました。
様々な選択肢を検討しサイトの制作事業と物販事業を行うことにしました。
私はもともとクリエイティブには強みがあり、自分に向いていると思いながら仕事していました。
ですが、その働き方は長くは続きませんでした。
止まらない修正要求や体力の消耗、制作技術の属人化、どうしても収益の天井が見える…などの悩みが現れてきました。
物販事業の方も仕入れで大きな支出があったり、在庫が部屋の隅に山積みになっていたり、利益率が低かったりとあらゆる問題を抱えており、
段々とそんな日々に疲弊していったのでした。
実際、私が風邪を引いてしまったとき、営業活動ができなくて一気に不安な気持ちになってしまう…ということもありました。
結果的に鬱っぽくなって、世界が灰色に見えるなど、つらい時期がありました。
気づいた。問題の本質は「事業が自分の労働時間に依存している事」
そもそも事業って、自分が倒れたら回らない形にしてしまうのは間違いなんですよね。
私はそれを知らなかったので、馬車馬のように自分がしなくていい事もやり続けていました。この状態が続くと、単純に売上が社長の労働時間に比例するので、必ず頭打ちがあるんですよね。
これについて詳しく知りたい方は、ぜひ「ガーバー流仕組み化経営」と調べてみてください。
ガーバー流仕組み化経営の核心

ガーバーが最も伝えたいのは、
「ビジネスとは、オーナーが働かなくても利益を生む”仕組み”そのもの」
という思想です。
つまり、経営者が”現場で働く”うちはそれは「自営業」であり、”現場を設計する”ようになって初めて「経営者」になります。
3つの人格モデル:起業家・マネージャー・職人
ガーバーは経営者の中にある3つの人格のバランスを説いています。
| 役割 | 主な関心 | 弱点 |
|---|---|---|
| 起業家型経営者 | ビジョン・未来・機会 | 現場の軽視 |
| マネージャー型経営者 | 秩序・安定・効率 | 保守的・変化を嫌う |
| 職人型経営者 | 技術・実務・顧客対応 | 自分が動かないと不安 |
多くの人は「職人」から起業します。しかし、会社を伸ばすには「職人を捨て、起業家+マネージャーの比率を高める」必要があります。
経営者は「システムを作る職人」になることが理想です。
経営的インパクト:属人性から脱却すると利益率が跳ね上がる
仕組み化経営の最大の効用は「利益率と企業価値の上昇」です。
- 属人業務:人に依存→スケールしない・離職で崩壊
- システム業務:手順に依存→教育コスト減・品質安定・再現性UP
- 投資家や買い手にとって「オーナー不在でも回る=買えるビジネス」
ガーバー流では、仕組み化=M&A可能化です。すなわち、オーナーシップを資産化する経営思想です。
スクール事業×仕組み化で、人生が180度変わった瞬間
最終的に自分が持っている専門知識と教える経験を活かして、オンラインスクールを立ち上げるという結論に至りました。
そのタイミングで既にスクール事業で成功している今の右腕と出会うことができたのです。
ありがたいことにマーケティング、セールスなど1から教えてもらい、
あっというまに30万、90万、180万と売上が上がっていった事を覚えています。
徐々に受講生が集まるようになり、感謝されながら大きな収益も得られるようになりました。
サービスの方法についても、最初は全て自分一人で行なっていたところから、
秘書、営業、カスタマーサポート、講師・・・とどんどん人を増やしていき、
完全なピラミッド組織にする事ができました。

そうする事で、クオリティの高いサービスをストレス無く提供することが可能となりました。
振り返ると、あのときは瞬く間に自分の人生が変わっていって、あの時は本当に不思議な気持ちでした。
オンラインスクール事業を始めて、本当に良かったと心から思っています。

初めて昼間から景色を眺めながらお茶するという優雅な経験をした時は、
こんな世界があるんだ・・・!と感動しました笑
月商1000万円を超えて、劇的に変わった毎日
過去と比較すると、劇的に生活が変わりました。
以前は、1日の大半を会社の業務に費やしていたため、仕事以外に何もできませんでした。
朝起きると「今日も会社に行かなければ…」と憂鬱になり、食事も睡眠もまともに取れず、機械のように動いていました。
毎日のように上司からダメ出しをされ、夜22時まで働く日々…疲れ果てて、休日は寝ているだけ…
しかし今は、そのようなことが一切ありません。
朝起きて「今日も充実した一日にしよう!」と、前向きな気持ちで1日をスタートできるようになりました。
会社に縛られていないため、自分の時間をすべて自分のために使え、好きなように過ごせています。
パソコン1台あればどこでも仕事ができるため、平日に旅行に行くことも自由にできるようになりました。

オンラインスクール事業を始めてから、何よりも関わる人を自分で選べるようになったことが、最も大きな変化だと感じています。
周囲には、志の高い起業家や経営者の方が多く、自分の人生を主体的に生きている人たちばかりで、本当に良いエネルギーをもらえています。
愚痴や不満を言う人もいないので、毎日気持ちよく過ごせています。
互いに高め合えるような関係性の方ばかりで、本当に感謝しています。
毎日情報交換をしたり、ビジネス戦略を練ったりして、とても充実しています。
そして、こんな素晴らしい毎日が手に入ったのは、何よりもオンラインスクールビジネスのおかげでした。
正しい方法で努力し、オンラインスクールを構築して収益化できるようになれば、理想の人生が手に入ると確信しています。
それを一人でも多くの方に知っていただきたくて、現在、私は月商1000万円を目指すためのオンラインスクール起業コンサルティングを提供しています。
生きることが辛くて、現状から抜け出せずに苦しんでいる、かつての私のような方を、1人でも多く救いたいと毎日全力で取り組んでいます。
オンラインスクール事業自体も素晴らしいビジネスモデルですが、
海外法人の設立や移住と組み合わせると更に世界が広がります!

↑マレーシアでパーティーを主催しました^^
私は資産構築の観点でも自分の可能性や世界観という観点でも海外移住をして本当に良かったなぁと痛感しています。
※この話は長くなるので、別の記事でお話していきます
私と同じように、人生を変えたいと願うあなたへ
長々と自己紹介をさせていただきましたが、先ほど少しお話ししたように、私は自分の専門知識を活かしてオンラインスクールを立ち上げたい方に向けて、個別指導を行っています。
もしもこの記事を読んでいるあなたが、
・自由に生きられる毎日を手に入れたい
・人間関係に悩まされずに、自分らしく仕事したい
・自分の専門知識や経験を活かして、オンラインスクールを構築したい
・安定した売上を得られるようになりたい
と考えているのであれば、ぜひ上記の記事をご覧ください。
人生を変えたいと本気で頑張る方には、全力でサポートさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
nanami

